誰も答えられない?「なぜ人を殺してはいけないのか」 その理由を弁護士7人に聞いてみました

「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれたらなんと答えますか?

日本の法律には殺人罪があり、もちろん人を殺すと罰せられます。でも実は、殺人罪について規定した条文では「なぜ人を殺してはいけないのか」については明記されていません。

つまり、人を殺すと罰を受けますが、その罰の理由については書かれていないのです。

そうなると、「罰さえ甘受すれば人を殺すのは悪いことではない」などの考え方も出てきますが、やはり「人を殺してはいけない」という認識は多くの人が納得するところでしょう。

そこで今回は、普段法律に基づいて判断を行う7名の弁護士に、条文に明記されていない「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問を投げかけてみました。

 

琥珀法律事務所

川浪先生

『なぜ人を殺してはいけないのか?』と問われたら、最初に思い浮かぶ答えは『殺されたくないと誰だって思うから』というものではないでしょうか。

しかし、刑法には、殺人のみならず、同意殺人、自殺幇助も罰する旨の規定があります。すなわち、『殺して欲しい』、『自殺するのを手伝って欲しい』と頼まれてその人を殺すこと、その人が自殺するのを手伝うことも禁止されているわけです。

そうすると、殺される側が納得しているかどうかは関係ないわけですが、なぜ、刑法にこのような規定があるのかというと、人の生命はあらゆる活動の根源・自由の基礎にあるもので最も尊いと考えられているからでしょう。

これも一つの価値観に過ぎませんが、この価値観は多くの人が共有しているはずです。社会において、多くの人と関わって生きる以上、多くの人が共有する価値観に反する行動に出てはいけない、特に生命は最も尊いものですからそれを侵害してはいけない、だからこそ『人を殺してはいけない』のだと思います。

 

法律事務所あすか

冨本先生

誰もが命を奪われたくないと考えるのが普通だから。絶対殺されたくないと思うのであれば、絶対人を殺していけないのは当然。

また、生命を保護してもらえなければ他のどういった利益を保護してもらおうが無意味ということで、法によって最も保護されるべき利益といえるから。

 

星野法律事務所

星野先生

最も重大な人権侵害だからでしょう。

法は、社会における衝突を防止し、円滑な生活を送るために存在するとすれば、他者の生存そのものを奪う殺人は、普遍的に禁止されるべきものです。

平穏に生存することは人権の最も重要な核心部分であり、人権を守るべき手段にすぎない法が殺人に対してどのような刑罰を定めていようとも、「刑罰を甘受すれば殺人してもよい」とはなりません。

唯一の例外は、戦争での戦闘や殺されそうになった状況で反撃するという正当防衛しかありません。

 

琥珀法律事務所

寺林先生

女王蜂の「鉄壁」という歌に、次のような一説があります。

「誰もがいつか土に還るわ 生き抜いた者を讃える美しい場所だと聞くわ
生きてゆくこと死が待つことは 何より素晴らしいこと 誰にも奪わせないで」

殺人は、その人が人生を強制的に遮断し、希望や未来を奪うことです。

殺されてしまう人がこと切れる前に感じる思いは、一言でいえば、まさに「生き抜けなかった」無念さといえるのではないでしょうか。

また、人をひとり殺すことは、その人の家族(恋人なども含みますが)の人生を奪うことでもあります。そんな無念を他人に与える権利は、絶対的に誰にも与えられていないと考えます。

例えば殺されたのが一家の大黒柱であれば、子供が進学できなくなる、夢を絶たれるといった事態になりえます。その衝撃の大きさから精神を病み、仕事や夢を放棄しなければならなくなることもあります。

そんな仕打ちをする権利は、やはり誰にも与えられていないのではないでしょうか。だからこそ、人を殺してはいけないのだと考えます。

 

銀座ウィザード法律事務所

小野先生

1.刑法では、法によって守られなければならない利益のことを「法益」といい、その法益の重いものから順に、「死刑」「懲役」「禁固」「罰金」「科料」という刑罰が定められています。

殺人罪におけて保護されるべき「法益」は、正に「人の命」であり、最高刑が「死刑」とあるとおり、法益としては一番重いものという位置づけになっています。

ある最高裁判所の判決の中で、「一人の生命は全地球よりも重い」という名台詞が書かれたことがありますが、このことを端的に語っているものでしょう。

2.私はクリスチャンですのでその観点から書きますと、神によって作られたものはいずれも尊重されなければならないですし、それを壊す(人間でいえば、殺す)ことは、神に逆らう行為であり、天罰を受けるに相応しい行為だということになります。

裁判所は「御上」であり、漢字こそ違いますが「かみ」ですから、人を殺した人間に対して、神に代わって刑罰を与えているという構造なのだと思います。

そういう意味だと、「あいつは殺されてもいいけど、この人は殺されてはいけない」という差別はあってはならず、その思想からすると「死刑廃止」という観念に行き着くのだと思います。なかなか割り切れませんけどね。

 

星法律事務所

星先生

人を殺してはいけないと言う法律があるからです。

日本だけではなくほとんどの国に人を殺してはいけないと言う法律があると思います。それは人を殺してはいけないと考える人が多数派だからです。

犬を殺してはいけないと言う法律はどうでしょうか。日本では動物の虐待は禁止されていますが、犬肉を食べる国では禁止されていません。

イルカとかクジラはどうでしょうか。日本では禁止されていませんが禁止している国も結構あります。その国の多数派がイルカとかクジラを殺してはいけないと考えているからです。

魚介類はどうでしょうか。魚介類を殺すこと自体を禁止している国はないようですが殺す方法を指定している国はあります。そのような国では魚の活け作りは禁止されます。

 

法律事務所アルシエン

清水先生

答えは一つでないと思いますが、端的にいえば「取り返しがつかないこと」の最大のものだからではないでしょうか。

誰しも自分が殺されたいと考えていないでしょうし、親しい人が殺されるとも考えていないでしょう。本人にとっては色々な希望が断たれることになりますし、親しい人からすれば繋がりを完全に断たれてしまうことになります。そして、その状況が改善されることは絶対にありません。

法律で殺人が罰せられるということも一つ理由にはなるのかもしれませんが、それを理由にすれば、ばれなければ殺人をしてもよいということになりかねません。

法律で禁じられているということは、それが一般的に「やってはいけないこと」と認識されているか、少なくとも政策的に「やってはいけない」とされているということです。

自分がされたくないことは他人にするべきではないということを、どこかで教わると思いますが、殺人もそれと基本的に変わることはないと思います。

 

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あなたは「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれたらなんと答えますか?

 

小野智彦
小野 智彦 弁護士

銀座ウィザード法律事務所

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