わいせつ事件で起訴された後、無罪が確定した男性が、被害届を提出した女性に損害賠償請求をしたところ、裁判所が男性の請求を棄却するということがありました。
請求を棄却した裁判官は、女性の供述の信用性には疑いを入れる余地があるものの、わいせつ事件が存在しないことの証明がないとして訴えを退けました。
裁判長が、女性の供述の信用性に疑いがあるとしたにもかかわらず、損害賠償請求が認められなかったことについて、疑問の声が多くあがっています。
刑事裁判で無罪になったのに、民事裁判で負けてしまうという今回のケース。無罪になったのなら損害賠償請求が認められても良いと考えるのが普通ではないでしょうか。今回はこの不思議なケースについて、ヴィクトワール法律事務所の荻原邦夫先生に聞いてみました。
■わいせつ事件が「ない」ことを証明するの無理では?
「『ない』ことを証明することは悪魔の証明と言われることもあり、理屈としては『ある』として想定される無数の可能性を全て否定しなければならず、とても難しい。」
「しかし、女性が警察へ届け出た被害事実は日時、場所、当事者の言動などが具体的に特定されていますから、その具体的事実が実際の客観的事実と異なっていると立証することになります。ですから、証明する対象が無限大に広がるということはありません。」
慰謝料などを求める裁判では、原告が請求に関わる具体的な事実を立証する責任を負います。この裁判で求められている事実は、実際にわいせつ事件がなかったことです。
つまり、女性の意見とは異なる事実があったことを証明すればいいことになり、簡単にいえば、アリバイ等が「ある」ことを証明すればよいわけです。
■無罪判決が確定しているのに請求が認められないのはなぜ?
ここでは、刑事訴訟制度と民事訴訟制度の違いをまず念頭において考えることが求められます。
「刑事訴訟では、『疑わしきは被告人の利益に』とも言われるように高度の立証が求められます。疑わしいとしても、立証できなければ無罪となります。」
「他方で、民事訴訟において不法行為を立証するには、女性が警察へ届け出た内容が客観的事実に反し虚偽であること、つまり、わいせつ行為がなかったことを立証しなければなりません。」
刑事訴訟では、極端なことを言いますと、検察官のみが犯罪のあったことについてせっせと立証することを求められ、被告人が特に何をしなくとも検察官が立証に失敗すれば検察側の敗訴、つまり無罪となります。
これに対して、民事裁判では、実際に原告自身が犯罪をしていなかったことについて立証をし、立証に失敗をすれば敗訴、つまり原告の請求が認められないことになります。少し難しい話ですが、立証が失敗した場合に敗訴してしまうリスクの所在が、刑事裁判と今回の民事裁判では全く逆になっているということです。
「刑事訴訟と民事訴訟はそれぞれ別の訴訟ですが、仮にそれぞれの裁判官が同一の心証を持ったとしても、例えば、わいせつ行為があった軽度の疑いが存在するという評価の場合、刑事訴訟で無罪となり、民事訴訟で損害賠償請求が棄却されることになります。」
「無罪判決は、必ずしも虚偽告訴を理由とする損害賠償請求を十分に裏付けるとはいえないのです。」
■女性側弁護人の「女性の心情に配慮して控訴はしないでほしい」の意味
「中立的なコメントとして見れば、裁判の継続はそれ自体が当事者の負担になるから控えてもらいたいという趣旨にとれないこともありません。」
「しかし、女性側代理人のコメントですから、わいせつ行為があったとの訴訟での主張を前提としたものと見るしかありません。訴訟における審理の中で、当時受けたわいせつ行為を詳細に思い出して表現しなければならず、それが女性にとって負担になるので控訴は控えて欲しいとの趣旨と受け止めるしかありません。」
無罪判決が出ているため、男性がわいせつ行為をやっていないということが前提で話が進みがちです。しかし無罪判決を検察官が主張立証に失敗したという程度にとらえれば、実際にその時何があったかは必ずしも明らかになってはいないと言えるわけです。
そして男性の請求が棄却された中で、女性側弁護士がわいせつ行為があったという立場にたってコメントをしたとしても、男性側の感情への配慮はさておき、完全におかしい話であると断じることはできないでしょう。
「しかし、男性としては、わいせつ行為はなかった、女性にとって思い出すのが負担となるわいせつ行為は存在しないと主張しているわけですから、女性側代理人のコメントから特段の影響を受けることはないでしょう。」
「女性側代理人のコメントについては、あくまでも訴訟の相手方のコメントとして理解することになります。男性は、控訴することができますし、控訴しないという選択もあります。控訴の結果として女性に訴訟係属に関する負担があるとしても、紛争が生じている以上やむを得ないことです。」
女性側の立場が、わいせつ行為があったことを前提とするのであれば、男性側もそのまったく反対の立場を前提にしてもよいわけです。当事者の代理人としての弁護士の発言は、神の一言ではなく、一当事者の声を代弁しているという程度にとらえるべきかもしれません。
一見しておかしいと思ってしまうような判決やコメントも、訴訟の制度から一つ一つ紐解いてみれば、思いもよらなかった理屈に支えられていることがあります。訴訟の結果については、訴訟活動の出来によっても影響するため、すぐにはその是非を問うことが難しいことがありますが、なぜそのような結果になってしまったかを制度から理解してみるとまた、日本の法律について理解が深まるかもしれません。
*取材協力弁護士: 荻原邦夫(りのは綜合法律事務所。刑事事件を主に取り扱っています。お客様に落ち着いていただき、理解していただけるよう対応します。)