上野駅で駅員をホームから転落させたとして39歳の男性会社員が殺人未遂の疑いで逮捕されました。それより前に共にお酒を飲んでいた男性会社員の父親が駅員の胸ぐらを掴んでいたのを、駅員が父親の胸ぐらを掴んだと勘違いしてのことだったそうです。
日本の刑法には殺人罪がおかれていますが、故意犯とされていて(刑法38条)、責任能力が必要とされています(刑法39条)。今回のケースで、男性は勘違いをしたということでお酒が残っていたと思われ、故意があったのか、責任を問えるのか、微妙なところと言える可能性があります。このような場合法律はどのような判断指針を持っているのでしょうか?
■事実を把握していないと責任は問えない
故意犯に問うには故意が必要です。故意とは、犯罪事実の認識のことです。
男性は、駅員を蹴り落としたようですが、人を線路に蹴る落とせば怪我をするかも知れず、動けなくなるかも知れません。線路には電車が走ってきますから、駅員が電車にはねられるかも知れません。
駅を熟知している駅員を線路に落とすほどの蹴りだとすると、かなり強く蹴った可能性もあります。男性の行為は、駅員を死に至らしめる可能性のある、危険な行為です。
男性は、勘違いはあっても、駅員を線路に蹴り落としたことは認識していたでしょうから、男性には故意があったと言われてもおかしくありません。
■刑罰は罰せられることを理解できる人に与えるもの
刑罰を与えるには日本の社会にメリットが必要です。責任能力と言いますが、心神喪失や心神耗弱の場合には、罰せられず、または刑が減刑されます。
これらは、「精神の障害により、理非善悪を弁別する能力またはその弁別に従って行動する能力のない状態や、それらの能力が著しく減退した状態」と理解されています。
いいかえれば、責任能力とは、自分の行動を評価することができる能力のことです。罰せられる理由がわからない人に刑罰を与えても意味がないのです。
■酔っているときの責任能力は?
酔っているときの事件では、この責任能力がよく問題になります。
酔いの程度が著しく大きい場合や、それが異常であったり、病的であったりする場合などに、心神喪失や心神耗弱と判断される場合があります。これらは、当時の言動やその動機が合理的か、当時のことを覚えているか、お酒をどれほど飲んだのか等を総合的に評価して判断されます。
今回の事案では、男性が駅員を蹴り落とした動機は不自然ではありません。勘違いということですから、男性が自分でその動機を説明したのでしょう。そうしますと、お酒を飲んで気が大きくなっていたかもしれませんが責任能力は認められるのではないでしょうか。
■お酒を悪者にしないためにも
お酒を飲むとリラックスできたり、雰囲気が盛り上がったりします。無礼講だと言える機会はときには重要です。しかし、羽目を外しすぎては元も子もありません。
お酒は百薬の長とも言われますが、思いがけない事件を起こさないためにも自分を失わない量をしっかりと把握することが大切です。