川崎市の中学1年生が18歳の少年らによって殺害された事件に関し、その加害者とみられる少年宅に「フィリピンにかえりたい」という落書きがされていたというニュースが話題になっています。
同じく、車にも落書きがされていたという報道や、この他にも、加害者とみられる少年宅に何者かが長時間罵声を浴びせていたという報道もあります。
言うまでもありませんが、こういった行為は当然犯罪です。対象者が重大事件の加害者やその家族であったとしても、刑事責任を免れる理由にはなりません。落書きは器物損壊罪、罵声を浴びせる行為は名誉毀損罪や侮辱罪に該当する可能性があります。
ただ、この件に関しては、落書きなどが犯罪行為に該当するということよりも重大な問題が潜んでいると思います。
●加害者の家族だし攻撃しても良い、わけが無い
それは加害者とみられる少年の家族に対して行われる落書きなどの犯罪行為や迷惑行為が、「加害者の家族である以上やむを得ない」と考えている人たちがいるという点です。
もちろん、中学1年生の殺害事件そのものの残虐性や、報道されている事件後の加害者とされている少年らの行動、その父親の発言等から、報道を見聞きした人たちが心を痛め、また、怒りの感情をもつことは至極当然だと思います。
その点は私も同じです。ただ、それを超えて、実際に加害者とみられる少年の家族に対して攻撃することは全く意味が違います。日本は法治国家であり、罪を犯した人は法が裁きます。事件とは何の関係もない第三者が、加害者の家族に対し、犯罪行為により被害を与えることを法は予定していません。そういった私刑行為は慎むべきです。
そういった私刑行為を肯定する人は、このような行為により加害者家族はもとより、近隣にお住いの住民の方々に多大な迷惑が掛かっていることを分かっていません。ことあるごとにマスコミが押し掛けることですら、近所の方にとってはいい迷惑でしょう。
私刑行為により「さらなる犯罪行為が助長されたらどうしよう」という不安もあることでしょう。和歌山カレー事件の林真須美死刑囚の自宅も、事件後多数の落書き被害に遭った後、放火されているとのことです。加害少年とは関係ない近隣住民に、こういった迷惑をかける行為が正当化される理由は皆無です。
●事実かどうかも分からない発言に攻撃する人たち
加害者とみられる少年の父親が事件直後に「息子は家に居た」旨の話を行ったことから、「そんな父親を擁護する必要はない」という論調もあるようです。
「嘘つき」、「こんな少年を育てたのだからどうせろくでもない父親に違いない。」、「まともに教育してこなかったに違いない。」、挙句の果てには「フィリピンの女性と結婚している」ということを論うような論調もあります。
確かに、この父親が確信的に嘘を付いたとすればそれは非難されるべきでしょう。しかし、それすらも事実かどうかは分かりません。動揺して勘違いした可能性もあります。また、仮にそうだとしても、私刑行為を正当化する理由にはなりません。
父親の行動について法的に制裁を加えたいというのであれば、法律に則って告発するという方法があります。教育や母親の問題が本件とどう結びついたのかについても確かなことは言えません。
この父親以外の家族についても同様です。戦国時代ではあるまいし、少年の犯行を止められなかったことの責任を負わなければならないという根拠は無いでしょう。やはり私刑行為は正当化されません。
秋葉原通り魔事件の犯人の弟は、犯人の家族に対する誹謗中傷を苦に自殺したと言われています。加害者家族をそこまで追い詰める権利が誰にあるのでしょうか。
私刑行為は犯罪にもなりえます。それ以前に、近隣住民に迷惑がかかるような行動を被害者の少年やそのご遺族が望むとは、とても思えません。誤った正義感を無責任に振りかざす行為について、今一度考え直してみるべきではないでしょうか。
*著者:弁護士 河野晃 (水田法律相談所。兵庫県姫路市にて活動しております。弁護士生活5年目を迎えた若手(のつもり)弁護士です。弁護士というと敷居が高いと思われがちな職種ですが、お気軽にご相談していただけるような存在になりたいと思っています)